2016年08月06日

私はそれが好き!本当に?

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最近、良く思うのです。

私が話す、考える
私はこれが好き、嫌い

この「私」とは誰か・・・?

禅問答のように聞こえますが
これはこの世界が存在する
核となる疑問です。


ほとんどの人が
「私」とはこの肉体に宿る

山田花子という「私」
鈴木太郎という「私」
だと思っているでしょう。

だから
私が話す、考える
私はこれが好き、嫌い
と言うのは個を表していることになります。


ですが、これは全くのウソ。
ただの幻想です。


本当の私は肉体でもなければ
そこに宿る性格を持った個でもありません。
それらを観察する側の意識です。


観察意識が本来の「私」なのですから

私が話す、考える
私が好き、嫌い

と言っているのは誰なのでしょう?

だから
私が話す、考える
私は好き、嫌い

という思考が出てきた時点で
それはもう真実の話しや、考えの内容でもないですし
本当の好き、嫌いでもないのです。

全てどこからかやってきた考えなのです。

いつかの誰かの考えや
先祖代々継がれてきた思いだったりするのです。


私はこれが好きだからこれをするんです!

本当に?
本当に真のあなたの好きなこと?

あるスピリチュアルリーダーが言っていました。

もし本当にそれが好きなら
それが叶わないことも100%受け入れらるか?と。

それをすることが100%、OKなら
やらないことも100%、OKでなくてはならないのです。

どちらも正直にゴマ粒一粒ほどの残りもなく
全てOKなら
その時は勝手に事は起こっていく、と言っています。

取りに行く必要はない、と。


ここのところ
「個の完全な深い死」を意識しています。

意識していると言っても
それを手に入れるんだ!ということではありません。
それは取りに行くことですから。
その時になったら、それは必ず起こるのですから。

ただ無意識にいると
つい思考や概念、感情が先に出てしまいます。
長い間、肉体を自分だと思っていたクセです。

だから無意識にならないように
常に「個の完全な深い死」を意識しています。

これはとても大変な作業です。
慣れないうちは、つい意識がそれてしまいます。


ですが、決心をして意識的に今、ここに留まり
「個の完全な深い死」は必ず起こることを信頼していると
幻想の「私」がどんどんと崩れていくのが分かるのです。
手に取るように分かるのです。

すると
私が話す、考える
私は好き、嫌い

というのがいかに幻想であり
ただの執着であったかが分かり始めます。

それはどうでもいいのです。

どうでもいいというのは
なげやりな「どうでもいい」でもなければ
「忘れなきゃいけない」という積極的な手放しでもありません。

ほんとうにどっちでもいいのです。
だってそう思っているのは
私ではないのですから。

そうなってくると
何をしゃべるか、何を考えるか
好きか嫌いかの感情も
どっちでもOK、そこにいちいちフォーカスしません。

全てを委ね、起こるべくして起こることを
信頼していればいいのです。

行動を起こすな、と言っているのではありません。
行動を起こすときは自然とその流れになるのです。
決心するときは自然にそうなるのです。

ただそれが起こるのは
真の自分である時だけです。

100%明け渡して初めて
それは起こるのです。


前出のスピリチュアルリーダーが
「私もガイドから「メッセンジャー根性を捨てよ!」と
お叱りを受けましたよ〜」
と仰ってました。

ああ、それ凄いよく分かると思いました。
もうそれは要らないですよ。

そんな個の、どこからか拾ってきた執着、
もう要らないです。

私もつい最近まで
メッセージを伝えることが好きだから!
なんて思っていましたが

「そう思っているのは一体誰なんだろう?」

って疑問がどんどんと湧いてきた時でした。

ことは起こります。
そうなるか、ならないかは宇宙が決めること。
個が決められることなんて何一つない、と

意識側が真の自分であると分かってきたら
それがしみじみと分かるのです。

どうぞ、もし自分が何かやっている
決めていると思ったら

「本当にそうだろうか?」

と問いかけてみてください。
そして宇宙を信頼してみてください。
違う発見があるかもしれませんよ




















posted by かおる at 22:39 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする