2016年08月08日

決断の時

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今日はちょっと厳しいお話。
そしてちょっと長いです。
これは私自身への厳しいメッセージでもあります。


先日、ブログで

「私は好き、嫌い」の私とは誰か?
その好き、嫌いは誰が言っているのか?

ということを書きました。



あるスピリチュアルリーダーの方も
まさに時同じくして、
同じ内容のものを書いていました。

前にブログでも書きましたが
書いている内容は自分自身への
メッセージでもありますし
このように同じ内容のものが
同じ時期に発せられるというのは
少なからず同じことを同じ時期に
必要としている方々がいらっしゃるということです。

バシャールを始め
世界の覚者の方々が
この秋が大きな転換期であり分かれ目であると
繰り返しメッセージを発信しているのは
皆さんご存じだと思います。

その分かれ目は決定的なものであり
引き返すことが出来ない
意識の目覚めの本番が始まる時を
知らせているのだと思います。

もちろん、
目覚めないという選択をしているのなら
それはそれで人間意識を存分に楽しまれることも
とても素晴らしくてワクワクすることだと思います。

ただ目覚めるのだ、と決めているのに
まだその覚悟が出来ていない方は
色々と悶々としているような状態かもしれません。

私もちょっと前まで、そんな状態でした。


個の感情や概念を観察していると
「分かったつもり」になるせいか
エゴは更に巧妙に意識の眠りを誘ってきます。

その一つが個の夢だったり、
願望だったり、
好きなことだったりと

一見すると、
とてもステキで素晴らしいと内容のものが
心の中に多く出てきます。

そしてそれを叶えようとすることは
本当に素晴らしいことであり
人生の醍醐味でもありワクワクします。

ただ、目覚めると決めた方は
「その願いは誰のものか?」
という問いが
次に来なくてはいけません。


人間意識でいたい人にとっては
個の夢や願望は人生を生きるためには
とても大切で
勇気を感じたり、明日への活力や希望になり
素晴らしいものとなります。
どうぞ思う存分、楽しんでください


ですが真の自分に
目覚めることを決めた方には
それはエゴの巧みな誘いであることに
気付いているでしょうか?

このお誘いは個(肉体)が私である
という幻想へのお誘いです。
とてつもなく強力で魅力的でもあります。



以前、
私は個の深い死を迎えたような瞬間がありました。

バスを待っていた何気ない一瞬でしたが
急にそれが分かり
人目もはばからず嗚咽と共に号泣しました。

もう死ぬしかないのだ!
という強烈な感情が出てきました。

恐怖や不安や悔しさがマックスになり
どうしても死を受け入れないといけないのだと
絶望にも似た諦め感が湧いて来たのです。

そして、もう全て宇宙にお任せする。
本当にこの肉体がこの瞬間に消えても
それを受け入れる!と心を決めたのです。

そして数分の後、
まるで生まれ変わったかのような
軽やかで静かでキラキラした
エネルギーの光に包まれているのを感じました。

ああ、私は深い死をついに迎えたのだ、
と思ったのです。

ですが、それから数日もすると
また個が湧きあがってくるのです。

個が自分だと勘違いしている状態に
一瞬なるのです。
(一瞬だけではあるのですが
その一瞬ですら眠りのきっかけになります)

同じことを
あるスピリチュアルリーダーも言っていました。

自分も深い死を迎えたつもりでいたけど
それでも個が立ちあがろうとすることがある、と。


そして
「本当に深い死を受け入れていますか?」
と問われました。


さて、ここで
「深い死」とはどういうことか
お話します。


個という概念を完全に外した時
自・他という概念もなくなります。

だから誰かのために、何かのために
というような
私たちが言うところの
「自己犠牲」のようなことも起こるのです。


そしてそれに対して
誰かにそれを知ってもらいたい
犠牲になっている自分を
認めてもらいたいという思いがあれば
それは個を完全に手放したことにはなりません。

個を完全に手放すとは
例えそのようなことが起こったとしても
それに対して何一つ不平不満もなく
ひっそりと誰からも露とも知られなくても

例え肉体が人知れず消えて無くなっても
それでも全てOKと言える状態です。

私は最初、それでも良いと思いました。

スピリチュアルリーダーの方は
重ねて言いました。


「それでも、
神は観ていると思っていない?
神だけは観てくれている、
知っていてくれている、
その思いもエゴのものであるから
深い死ではない」と。

神ですら自己犠牲を知らないほどの
完全なる手放し・・・

皆さん、これに耐えることは出来ますか?
受け入れることは出来ますか?


私はその時思いました。
私にはまだ
そこまでの覚悟がなかった・・・と。


今この瞬間、
銃を持った人が来て
あなたに銃口を向け、
引き金を引こうとする時
死に抵抗することなく、
かといって
生を諦めることもなく

生きることと死ぬことを
全くの平等に受け入れることは出来るか

そのように話していました。

そして、秋までに徹底的に
今、この瞬間に自分が
跡形も消えてしまったら?
という思いで
日々生きてほしいと言っていました。


それほど今、
大きな決断を迫られている時期なのです。
生半可な決意ではありません。

その覚悟はあるでしょうか?


「ご覚悟召されよ!」とのことです(笑)!


とても厳しい内容ですよね
でも意識の完全なる目覚めは
それほどまでにゴマ粒一粒たりとも
未練を残して出来るものではない
ということです。


ただこれは苦行ではありません。
苦しんだ末に分かることでもありません。

たった一つ、宇宙への絶対なる信頼
これだけです。

そこに苦しみはありません。

逆に喜び、至福、安堵があるだけです。

絶対に宇宙がなんとかしてくれる
という喜び至福、安堵です。

ただし、
この「なんとか」がどういうものかは
何一つ期待してはいけませんが。



どんなことであっても
それが宇宙の望みであるなら
それを完全に受け入れる、
その状態が
「完全な個の深い死」であり
「完全なる意識の目覚め」なのです。


さて、最近よく耳にする言葉
「もう時間がありません」

これは急かす訳でも
脅す訳でもありません。

ただ時間は本当にないのだろう、
と私も感じています。

それでも私たちには
選択する自由意思はあります。

このまま人間意識を自分と思って
この二極の世界を
もっともっと楽しみ味わう事を選ぶか

完全にそこから出て
意識の目覚めの世界へ移行するか

どちらも自由ですし、
どちらが正しいとか
間違っているということでもありません。

さて、あなたはどちらを楽しみたいですか?

本気で決める時がいよいよ来ましたよ



posted by かおる at 16:27 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする