2019年01月11日

空間の慈悲




先日の話です。

バスに乗っていた時、
窓の外の景色をぼんやり眺めていると
意識が体から広がり
見える景色の空間全てに本来の真の私の意識が
広がり満ちていることを感じました。

その瞬間、
この空間に存在する全ての命、物、出来ごと、感情、感覚など
何もかも全ては存在することを許され受け容れられているのだと
全てを包みこんでいる空間の意識の
深い慈悲にも似た無条件の愛を強く感じたのです。
ある方はそれを全母と表現しています。

実は年末年始、
前回のブログでも書きましたが

虚空からの創造をしていたときに、
何か違和感があり
どんどんと疲弊していくような、
違う道に逸れていくような
そんな感覚を覚えました。

何かが違うと思っているうちに、
そのずれた感覚が具現化されたような出来事が起こり始め
気分が落ちこみ始めました
(本当に具現化のスピードが速くなりました)。


そこで気づいたのが、
虚空に意識を置いた状態で
言葉を使っていたことに気付いたのです。

「弥栄に誠を尽くします。
ますます全ての命が繁栄しますように」と。

言葉を発した瞬間に
そこには「個」が存在します。

言葉というのは有限ですから、
有限ということは分離の世界観の中でのみ存在するもの。

それを虚空でしていたのですから
分離の現象が具現化するのは当たり前です。

そこに全身全霊の愛の思いがあったら、
そうでもなかったのでしょうが
愛のエネルギーが湧いてこなくても、
そのように言葉で発していたので
どんどんど苦しい状態になっていったのです。


そこで言葉ではなく
思いだけを虚空から発しようと決めて
そのようにしていくと、
あっという間にずれていた現象がウソのように収まり
豊かで穏やかな状況がやってきました。

ああ、ちゃんと光の中心に戻れた、
という感覚が実感を通してやってきました

ちょうどそんな時に
あるスピリチュアルリーダーの方が『
「自分が祈っている」と思っていませんか?』と、
同じような内容でブログに書かれており、
やっぱりそうだったんだ!と思いました。

それからはずっと虚空の中心に意識を置き、
言葉ではなくエネルギーとして
弥栄のエネルギーを発するようにしていきました。
その矢先のバスでの出来事でした。


未だに「自分が」という癖が出てきてしまいますが
そのかわり気づいたら、あっという間に変化していきます。

改めて具現化の速さと
気づきの度合いの深さに感謝していると共に
それが起こる空間の凄さに
ただただ感服しております。



posted by かおる at 14:30 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする